京都、一条戻橋の式神は、
安倍晴明が式神として使役していた十二神将である。
この式神を妻が怖がったため、
戻橋の下に隠し、必要に応じて召喚した、といわれている。
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源平盛衰記(巻第十)によれば、
建礼門院徳子が安徳天皇を出産するにあたって、
徳子の母が戻橋で「橋占」をした。
すると、12人の童が唄いながら橋を渡っていき、
生まれてくる子の運命を暗示した。
この12人の童は、
晴明が式神として使役していた十二神将が
姿を変えて現れたのであろう...
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2005年5月、京都堀川の晴明神社に行きました。
この戻橋は、前の戻橋の親柱を使ったミニチュアです。
式神の石像もあります。
後姿の写真ですが...
こちらは、現代の戻橋です

もう少し、橋の下を撮れば良かったですねー